世の中には二種類の人間がいる。新年だからといって何か新しいことを始められる人間と、新年になっても昨年の残務処理に追われる人間だ。私は後者であり、おそらくこの画面の前のあなたもそうだろう。だが、今日はそんな我々の怠惰を正当化するために筆を執ったわけではない。
清らかなNoteへの「不純」な進出
さて、遅まきながら私もnoteのアカウントを開設した。
なぜ今さらnoteなのか。
それは、この独自ドメインブログという「孤島」があまりに過疎化しており、Googleのクローラーさえも寄り付かないデジタルな限界集落と化しているからに他ならない。
要するに、人が集まるプラットフォーム(note)で拡声器を振り回し、「こっちに面白い店があるぞ」と客引きを行い、この寂れた個人ブログへ誘導しようという、浅ましくも典型的なWebマーケティングの手法を実践しようと思い立ったわけだ。
noteという場所は、創作意欲に溢れたクリエイターたちが集い、互いに切磋琢磨する、言わば「インターネットの良心」のようなサンクチュアリである。そんな清らかな場所に、単なるPV稼ぎという薄汚れた野心を持って参入するのだから、私の行いは聖域に土足で踏み入るも同然だ。その自覚はある。
コンテンツ・イズ・キング? いや、コンテンツ・イズ・ナッシング
しかし、ここで一つ、致命的な問題がある。 私が誘導しようとしているこのブログには、現時点で記事がたったの2つしか存在しないのだ。
SEOの専門家や、オンラインサロンで信者を囲い込んでいるインフルエンサー様たちは口を揃えて言う。
「まずは100記事書け」「質より量だ」と。
その教えに照らし合わせれば、2記事しかないブログへの誘導など、開店前のラーメン屋に行列を作らせるような詐欺行為に近い。
読者が期待に胸を膨らませてリンクをクリックした先にあるのは、情報の海ではなく、ただただ広がる白い余白と、申し訳程度に置かれた2つのテキストの塊だけである。
これを「期待外れ」と呼ばずして何と呼ぶか。だが、逆に考えてみてほしい。情報過多のこの時代において、これほどまでに「読むものがない」サイトというのは、ある種の禅的な静寂を提供しているとは言えないだろうか(言えない)。
更新頻度という名の「不渡り手形」
さらに最悪なのは、私が高らかに掲げた「所信表明」の欺瞞性である。
新年を迎え、「今年はやるぞ」「定期的に更新するぞ」と鼻息を荒くするのは勝手だが、私の実態は「一ヶ月に1記事以下」という、もはや休刊した雑誌のような更新ペースである。
これを「スローライフ」や「マイペース」という言葉で糊塗するのはやめよう。単なる怠慢であり、ネタ切れであり、酒を飲んで寝てしまった夜の積み重ねの結果だ。
今後、私がnoteでどれだけ高尚なことを書き、このブログへ誘導しようとも、リンク先が更新されている保証はどこにもない。
それはあたかも、いつまでも完成しないサグラダ・ファミリアを見守るような、あるいは一向に公約が守られない政治家の演説を聞くような、忍耐と諦観を読者に強いる行為となるだろう。
それでもなお、私は言う。
「期待せずに待っていてほしい」と。
この矛盾に満ちたスタンスこそが、効率と成果ばかりを追い求める現代のWeb社会に対する、私なりのささやかなアンチテーゼなのかもしれない。いや、単に書くのが面倒なだけなのだが。


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